金剛山赤不動明王院

当院のご案内

御由緒

赤不動明王尊との御縁は今から四十年以上前に遡りますが私が野を駆け山を登り自問自答を繰り返し悩み苦しんで居た頃お導きに依り行かせて頂けた滝場での出来事を御縁とし密教の道に入れて頂いた所縁である。
その頃の私は正に修羅であり全てが疎ましく関わること嫌であった、その頃の私は武術の道を諦め仏門に入り出家得度を済まして居たが気持ちは武術の道、断ち難しが本音であり修羅そのもので有りました。
山岳修行は私にとっては普通の鍛錬に過ぎなかったのです、滝行も心地良い水浴びとしか感じ無かった私がこの滝場だけは、違ったのである。

御本尊赤不動明王尊

仏教的に不動明王尊は各宗派宗旨に於いて不動信仰の根幹を占める尊格でありますが、当院の御本尊が何故赤なのかをご説明致します。

今から千二百年以上前に日本國に真の密教を渡来した弘法大師空海が手ずから彫られたのが不動明王尊像である。
そしてその木【原木】が赤色の木で彫られたのであります。

普通木と言えば白を連想するのであろう。
しかし何故、御大師様が赤色の木を選ばれたのか?
それは不動明王尊の御姿が赤だったからであります。
赤とは炎であり正に不動明王尊の背景の色である。
カルラ炎を象徴するものである。

院主プロフィール

院主 永作優三輝

水戸藩士族の家系に生を受け三歳依り武芸を習い十七歳で単身渡米かの地で空手のインストラクターを務め二十歳で帰国後、両親の死を境に金田道跡師の下で出家得度し密教修行の旅に出る、各地の大徳【高徳の僧】に伝法を受け現在に至る。
出家後も武術の鍛錬は続けて居る武術書も過去に二冊出版【古武術と忍術の専門書】武術に関しては現在隠居の身である。
ちなみに密教と武術は緻密な関係にある。
水戸藩は武門の誉れ高き藩である。
院主は隠し武器の研究家でもある。
隠し武器は武家の知られざる嗜みでもあったのである。
兵法【軍学】については武家の末裔として当然学び納めて居るものである。

密教とは

密教とは一般的には非常に分かりづらい教えですが決して不思議でも意味不明でもありません。
言わば御仏と二人三脚で歩む道であります御仏を理解する事は理解される事に繋がる優しい慈悲の世界こそ密教の世界なのであります。

下手に手を出せば祟りがあるバチが当たると言う人が居りますがそれは大変な誤りである。
理解無きところに得は無く理解精進する者に大慈悲があるのが密教です。
祟りやバチを恐れるは己が心の写し鏡、嫌なら触らず見ず通り過ぎれば何も起こらず発しせずが私の教える密教であります。

密教の仏は全て大慈悲の御仏であります。
観てはいけない仏など存在しなのです。
但し興味本位ならお勧めは出来ません。
例えば下世話に言えば挨拶も無く他人の家を覗いたり知りもしない事を吹聴すればどう成るかわかる様に礼に始まり礼に終わる世界が密教なのであります。

願い事を叶えるも御仏の慈悲、努力を重ね尽くす【人事を尽くして天命を待つ】事こそ
御仏の意に叶う生き方であります。
密教は本来、霊界の教えに忠実であり其れを体系化し現在に引き継がれて居るのであります。

密教を理解するには霊界を理解せねば本質は視えて参りません。
心霊密教こそ弘法大師空海が具現化した理想の教えなのであります。
心霊に不思議無し不思議があるとすれば我々の理解力が乏しい証と言えよう。
密教と心霊は両輪であり、片輪で理解する事は難しいのです。

お問い合わせ

宗旨、宗派にとらわれない密教呪術専門寺院
皆様のお悩みを解決する、赤不動明王院として親しまれています。

ブログ更新情報

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寺院名:金剛山赤不動明王院
住所:奈良県葛城市
代表者:永作 優三輝
創立:団体設立 令和2年11月
案内:当院では、御予約の無い突然のご来院はお断りしております。
【御予約が無い状態で来ていただきましてもご対応いたしかねますので、あしからずご了承ください。】
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